現在、大阪で牧師の働きをしているHide牧師(元旭川ナザレン宣教師)によるメッセージと
現在中高科の主任教師であるAyumi先生によるメッセージです。
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「感動のある風景」 大窪秀幸 2006年 5月7日
創世記1:1~3
ハレルヤ!1960年代に、宇宙から始めて、地球に人間の声が届きました。それは、アポロ8号の宇宙飛行士たちが地球から数億万キロ離れたつきの周りを回りながら、聞かせてくれた声です。ちょうどクリスマスのイブ、宇宙船の中で、宇宙飛行士たちは、地球上で、耳を傾けている人々にある書物の一部を感動的に、読んでくれました。
「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」創世記1:1~3
これは実は聖書のことばなんだ。遠い遠い、ある宇宙空間の小さな宇宙船の中から宇宙飛行士が地球にいる人たちに、感動をもって聖書の中の髪の創造の部分を読んだということは、どんなに意味があることなんだろう。
みんなは自然に感動したことってある?自然を見て、感じて、聞いて、体のすべてで自然を感じるときに、ぼくたちは言葉では言い表せない感動を覚えることがあるよね。ぼくも自然が好きで良くいろんなところへ出向きます。
あるときはなんにもない平原で、そのスケールの大きさに感動し、またあるときは川の流れを1時間ずっと眺めていて、そこに流れる命、また力強さに感動します。満天の星空を見上げるとき、触れることができるのではないかと思えるほどにきらめく星々。どこまでも果てしなく続く宇宙。そして、一度くらいは考えたことがあると思う。「どうして、このようなことが可能なのだろうかと。」
なぜわたしたちは自然を見て感動するんだろう。自然を感じるときに、そこに流れる命と力強さを感じるのだろうし、また自分の小ささに気付くこともあるだろうね。また、その美しさに?それもあるね。その壮大さにだろうか?それもある。だけど、ぼくたちは実はこの自然を造られた方に感動しているんだ!!
聖書の最初のページを開くと、
「初めに神は、天と地とを創造された。」創世記1:1
と宣言されている。この世界はどのようにして始まったのか・・・聖書ははっきりと答えを与えてくれます。「神が天地を造られた!!」と。そこでわたしたちには疑問が起こります。はたして神は本当にいるのか?と。
人間は、誰でもその心のなかで、神を認める信仰をもっている。誰に教えられたわけでもなく、どこの小さな部落の民族へ行っても必ず信仰している神がいるのはそのためなんだ。神を拝まない民族はいつの時代にもいなかった。ただ、その真の神、全世界の創造者である神を知らないので、多くの人が迷っているんだ。
科学技術の発展ともに迫ってきた宇宙物理学の最先端の結論は「宇宙はデザインされている」ということなんだ。宇宙や地球を見ても、設計者がいるとしか考えられないほど精密にできている。そして、それは人間が存在できるように、すべてが美しく秩序立ってパーフェクトにデザインされているんだ!重力は10の55乗分の1、電磁力は10の37乗分の1の確立という奇跡のバランスを保っている。それはどんな確率かというと・・・
1/1055e富士山の頂上から東京まで届く長い刀の刃の上を、ピンポン球が落ちずに転がっていく確率。
1/1037e北米大陸10個分の面積全体を10円玉で敷き詰め、それを付きに届く距離の高さまで積み上げ、その中の1つだけ赤く塗って、目隠しした人がすべての中から、赤く塗ったコインを一発で取り出す確立。
うん・・とにかく偶然ではありえないってことだ!!
ぼくたちは学校教育で進化論を教えられるけど、そこには多くの疑問とむなしさが残る。進化論では、宇宙の起源は物質と考えているよね。宇宙と人間の起源が、水、火、土、空気、原子、、アメーバのようなものから始まり、今日のような世界ができたと言うけど、本当にそうだろうか?
疑問① もしも、宇宙が「何か」から始まったのだとしたら、その「何か」とはどこから来たのか?
疑問② はたして、物質の中から、感情や愛情などをもった人格的な存在が生まれてくることがあるのか?
疑問③ もしも、進化論が事実であるとすれば、すべては偶然であり、人生や宇宙に何の意味があるのだろうか?
当たり前のことのように教えられてきた進化論は、1つの仮説にすぎず、証明された事実ではありません。実際、これを考えだしたチャールズ・ダーウィンは死の間際にその事実を認め、「世界にはすべてを創造された神がいる」と自らの学説を覆している。もしも、神がいないとしたら、宇宙や人間の始まりをどのように説明したらいいのだろうか?
自然界の仕組みが秩序正しいことは、だれもが認める事実です。しかし、それがどのようにできたかについては、信仰によって知るしかありません。地球が造られたとき、だれもそこに居合わせなかったからです。科学者もそれを認め、神を信じる人がたくさんいます。「聖書の教えが科学の世界も含めて、全世界の存在の意味をあきらかにしているからだ」と、ある博士は語っています。
人間は自分の造り主を知るまでは、自分の存在の目的も分からず、さまよっている。ぼくたちは、自分の造り主を知ったとき、初めて、自分がどこから来て、何のために生き、どこへ行くのか、すべてがわかるんだ。神はあなたが神を知ろうとしていることよりももっと強く、神ご自身があなたに知られることを望んでいるんだよ!
神様はいろんな方法でご自身を現してくれているんだ。その1つが自然です。わたしたちが自然に感動するのは、そこに神が創造され吹き込まれた命があるからです。人間の造ったものには命がありません。すべてを造られた神、創造者がいる!その方を知り、関係をもつことがわたしたちにとって大事であり、神もそれを心から願っているんだ。それは、自分の存在を知ることであり、目的を知ることだからです。さぁ、目を上げて周りを見回してみてよ。すべてがあなたのためにデザインされてできた世界なんだ。今、あなたの眼には世界がどのように映し出されているだろうか?むなしく、さみしく、映し出されている?すべてが美しく、パーフェクトにあなたのためにデザインされているんだ!!それは神があなたを愛しているからなんだ!この神様にはいつ、どこででも出会うにことができるんだよ。あなたが感動するそのとき、偉大なる創造者を感じてみてよ。そこはきっとあなたの人生において最高の感動のある風景として、心刻まれるよ。
創世記1:1~3
ハレルヤ!1960年代に、宇宙から始めて、地球に人間の声が届きました。それは、アポロ8号の宇宙飛行士たちが地球から数億万キロ離れたつきの周りを回りながら、聞かせてくれた声です。ちょうどクリスマスのイブ、宇宙船の中で、宇宙飛行士たちは、地球上で、耳を傾けている人々にある書物の一部を感動的に、読んでくれました。
「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」創世記1:1~3
これは実は聖書のことばなんだ。遠い遠い、ある宇宙空間の小さな宇宙船の中から宇宙飛行士が地球にいる人たちに、感動をもって聖書の中の髪の創造の部分を読んだということは、どんなに意味があることなんだろう。
みんなは自然に感動したことってある?自然を見て、感じて、聞いて、体のすべてで自然を感じるときに、ぼくたちは言葉では言い表せない感動を覚えることがあるよね。ぼくも自然が好きで良くいろんなところへ出向きます。
あるときはなんにもない平原で、そのスケールの大きさに感動し、またあるときは川の流れを1時間ずっと眺めていて、そこに流れる命、また力強さに感動します。満天の星空を見上げるとき、触れることができるのではないかと思えるほどにきらめく星々。どこまでも果てしなく続く宇宙。そして、一度くらいは考えたことがあると思う。「どうして、このようなことが可能なのだろうかと。」
なぜわたしたちは自然を見て感動するんだろう。自然を感じるときに、そこに流れる命と力強さを感じるのだろうし、また自分の小ささに気付くこともあるだろうね。また、その美しさに?それもあるね。その壮大さにだろうか?それもある。だけど、ぼくたちは実はこの自然を造られた方に感動しているんだ!!
聖書の最初のページを開くと、
「初めに神は、天と地とを創造された。」創世記1:1
と宣言されている。この世界はどのようにして始まったのか・・・聖書ははっきりと答えを与えてくれます。「神が天地を造られた!!」と。そこでわたしたちには疑問が起こります。はたして神は本当にいるのか?と。
人間は、誰でもその心のなかで、神を認める信仰をもっている。誰に教えられたわけでもなく、どこの小さな部落の民族へ行っても必ず信仰している神がいるのはそのためなんだ。神を拝まない民族はいつの時代にもいなかった。ただ、その真の神、全世界の創造者である神を知らないので、多くの人が迷っているんだ。
科学技術の発展ともに迫ってきた宇宙物理学の最先端の結論は「宇宙はデザインされている」ということなんだ。宇宙や地球を見ても、設計者がいるとしか考えられないほど精密にできている。そして、それは人間が存在できるように、すべてが美しく秩序立ってパーフェクトにデザインされているんだ!重力は10の55乗分の1、電磁力は10の37乗分の1の確立という奇跡のバランスを保っている。それはどんな確率かというと・・・
1/1055e富士山の頂上から東京まで届く長い刀の刃の上を、ピンポン球が落ちずに転がっていく確率。
1/1037e北米大陸10個分の面積全体を10円玉で敷き詰め、それを付きに届く距離の高さまで積み上げ、その中の1つだけ赤く塗って、目隠しした人がすべての中から、赤く塗ったコインを一発で取り出す確立。
うん・・とにかく偶然ではありえないってことだ!!
ぼくたちは学校教育で進化論を教えられるけど、そこには多くの疑問とむなしさが残る。進化論では、宇宙の起源は物質と考えているよね。宇宙と人間の起源が、水、火、土、空気、原子、、アメーバのようなものから始まり、今日のような世界ができたと言うけど、本当にそうだろうか?
疑問① もしも、宇宙が「何か」から始まったのだとしたら、その「何か」とはどこから来たのか?
疑問② はたして、物質の中から、感情や愛情などをもった人格的な存在が生まれてくることがあるのか?
疑問③ もしも、進化論が事実であるとすれば、すべては偶然であり、人生や宇宙に何の意味があるのだろうか?
当たり前のことのように教えられてきた進化論は、1つの仮説にすぎず、証明された事実ではありません。実際、これを考えだしたチャールズ・ダーウィンは死の間際にその事実を認め、「世界にはすべてを創造された神がいる」と自らの学説を覆している。もしも、神がいないとしたら、宇宙や人間の始まりをどのように説明したらいいのだろうか?
自然界の仕組みが秩序正しいことは、だれもが認める事実です。しかし、それがどのようにできたかについては、信仰によって知るしかありません。地球が造られたとき、だれもそこに居合わせなかったからです。科学者もそれを認め、神を信じる人がたくさんいます。「聖書の教えが科学の世界も含めて、全世界の存在の意味をあきらかにしているからだ」と、ある博士は語っています。
人間は自分の造り主を知るまでは、自分の存在の目的も分からず、さまよっている。ぼくたちは、自分の造り主を知ったとき、初めて、自分がどこから来て、何のために生き、どこへ行くのか、すべてがわかるんだ。神はあなたが神を知ろうとしていることよりももっと強く、神ご自身があなたに知られることを望んでいるんだよ!
神様はいろんな方法でご自身を現してくれているんだ。その1つが自然です。わたしたちが自然に感動するのは、そこに神が創造され吹き込まれた命があるからです。人間の造ったものには命がありません。すべてを造られた神、創造者がいる!その方を知り、関係をもつことがわたしたちにとって大事であり、神もそれを心から願っているんだ。それは、自分の存在を知ることであり、目的を知ることだからです。さぁ、目を上げて周りを見回してみてよ。すべてがあなたのためにデザインされてできた世界なんだ。今、あなたの眼には世界がどのように映し出されているだろうか?むなしく、さみしく、映し出されている?すべてが美しく、パーフェクトにあなたのためにデザインされているんだ!!それは神があなたを愛しているからなんだ!この神様にはいつ、どこででも出会うにことができるんだよ。あなたが感動するそのとき、偉大なる創造者を感じてみてよ。そこはきっとあなたの人生において最高の感動のある風景として、心刻まれるよ。
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